第二章 谷中輝雄はどのように精神科ソーシャルワーカーとしての価値を共有したか
第四節 インタビュー調査の考察・結論

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Ⅰ. 考察

本調査の結果を踏まえ、今後の精神保健医療福祉に取り組む人々の学び合いにおける「地域に開かれた精神保健医療福祉学」、「現象学的なストレングス視点の研究」、「優しさの連鎖を生み出す暗黙知の継承」という3点の可能性を展望することが出来た。以下にその展望を具体的に記すこととする。

1. 地域に開かれた精神保健医療福祉学

今後の精神保健医療福祉に取り組む人々の学び合いにおける第1の展望は、大学における精神保健医療福祉学が地域の当事者や支援者に開かれていく可能性である。何故なら、本調査における「学習者のニーズ中心に学びの場を整えた」と「精神障害のある人や他の支援者と学びあう構造を持っていた」という仮説の検証過程からは、地域の当事者や実践家と精神保健医療福祉を学ぶ学生のつながりが、学生や実践家の学びを促進し、また元気づけとなることが示されたからである。また、その関わりは精神障害のある人の力を引き出すことにもつながると考えられる。そして、その仕組みづくりのためには、精神保健医療福祉の教育者が【地域に学びを開く】というコードの生成過程が示すような「よい循環」を引き起こし、【引き出しが全国版】というコードの生成過程が示すようなネットワークを構築する必要があることも示された。もちろん、谷中のようにすべて一人で手配できるようになるのではなく、各々のネットワークを持つ精神保健医療福祉の教育者が連携してこうした「よい循環」やネットワークの仕組みを構築していくことが出来れば良いと考えられる。

この可能性は、藤井(2004)の文献においても示唆されている。藤井(2004)藤井達也(2004)『精神障害者生活支援研究 生活支援モデルにおける関係性の意義』学文社.は「やどかりの里」の活動における「素人性」も「当事者性」も含めて、「専門家が教える知識ではなく、その人が生活の中で身につけていく知恵を一緒に作っていく」という「共生の智」の重要性を示しているからである(p. 218)。大学における精神保健医療福祉学においても、この「共生の智」は今後の精神保健医療福祉の展開において有効性を持つと展望できるのである。

2. 現象学的なストレングス視点の研究

本調査を通した今後の精神保健医療福祉に取り組む人々の学び合いにおける第2の展望は、今ここにある存在を信じる視点を持って事例を検討していく現象学的なストレングス視点の研究の可能性である。何故なら、本調査における「主体性を引き出す自由な環境づくりに目を向けた」という仮説の検証過程からは、人々の主体性を促す自由な環境づくりにおいては、その人や環境を信じる視点が重要となることが【託していった】というコードの生成過程より示されたからである。

谷中が早川進から受け継いだ考えの中に、エポケー(判断停止)という考え方がある。それは当たり前と思われる考え方を一度括弧書きにして、否定も肯定も含めないまっさらな状態で相手と向き合うことである(早川進・谷中輝雄, 1984早川進・谷中輝雄(1984)「故郷的世界と異郷的世界」『精神障害と社会復帰』4(2), 58-65, やどかり出版., 58)。もしそこに相手に対する疑念があれば、このエポケーは成立しない。谷中はこのエポケーに習い、相手がメンバーであれスタッフであれ学生であれ、一度自身の判断基準を棚上げし、その人の存在を信じて向合おうとしたのではないかと考えられるのである。そして、このことは本調査における以下の語りによっても示されている。

棚上げするって言うことは、まったくそういうものの今までの観念とかにとらわれずに、真っ白な形で伺うということですから。・・・・谷中さんにとってはそれができる人だからね。で、そこで、それは結局僕が思うのは、その人が生、生きられている存在を基本的に信じるということ。じゃないとそれはできない。・・・人間存在としてね、//*: うん。//利用者ってんじゃなくてね、人としての生き様存在として信じるってことが前提にないと、そういうきちっとそういう風に向き合うことができない。で、彼はこういう輝きの中からいろんなことをこう学んできた。ということだろうと。で、その態度は彼の教員になっても学生に接する態度だよね、いろんな人に社会人に対する接し方というもの。(ID-M)

また、これらの人への姿勢は、saleebey, D. (1992)Saleebey, D. (1992) The Strengths perspective in social work practice. Longman.がソーシャルワーク実践におけるストレングス視点の鍵概念として提唱する「疑惑の払拭」(Suspension of disbelief)の考えとも共通する(pp. 12-13)。

もちろん、谷中はこれらの考えを完璧に実践していたわけではないことは、本調査における【愛情故の先回り】【意外と任せない(笑)】という反証事例からも伺える。しかしながらそれらの事例からも、「愛情故」や「(笑)」に当たる要素を拾うことができたことから、谷中は広い道の中でこれらの考えを追い求めていったのではないかと考えられる。なお、「広い道」という語句は本調査における以下の語りより示唆を受けた。

あのー広―い道なんですけど、後ろ向きに歩いている人はいない。//*: ふーーーん。//一方通行の道を作るのが上手いんですよ。広い道に。細い道の一方通行ではなくて、広い道の一方通行を作ってその辿り着く間に多少差があったとしても//*: うん。//向いてる方向は同じ方向に向かせるというのは非常にあのー卓越した能力があったんじゃないかと思いますね。(ID-E)

上記の語りは組織運営における谷中の姿勢を示した語りであるが、谷中はこの姿勢を自らにも向けていったのではないかと考えられる。また、「谷中の生涯を通した価値形成過程を辿る研究」への示唆でも谷中が価値に幅を持たせ、あるべき論で固まらなかったことが示されている。谷中は人の存在を信じると同時に価値に向かう自らの存在も信じていったのではないかと考えられるのである。

これらのことから、今ここにある存在を信じる視点を持って事例を検討していく現象学的なストレングス視点の研究は、人々の主体性を促す自由な環境づくりにつながるという点で、今後の精神保健医療福祉に取り組む人々の学び合いにおいて可能性を持つと考えられるのである。

3. 優しさの連鎖を生み出す暗黙知の継承

本調査を通した今後の精神保健医療福祉に取り組む人々の学び合いにおける第3の展望は、優しさの連鎖を生み出す暗黙知の継承の可能性である。何故なら、本調査における「我々の中にも谷中輝雄はいる」という仮説の生成過程からは、人と人との間で起きた優しさは、また別の人につながっていく可能性が示されたからである。例えば、【Paid forward】というコードの生成過程で示した事例以外にも、調査者の中にある考えを引き出すような対話をする語り手や、調査が円滑に進むようさりげなくコーディネートをする語り手がいた。語り全体に対する感覚的な印象や、録音されていない場面の出来事であったため、今回は分析の対象としなかったが、谷中が同じようにその人に接していたのだろうとその奥にある谷中の存在や優しさを見受けることができた。これらの優しさの連鎖は、暗黙知が継承されたからこそ生み出されたのではないかと考えられるのである。

Thomas, N. F. (2013)Thomas, N. F. (2013) Solution-Focused Supervision: A Resource-Oriented Approach to Developing Clinical Expertise. New York: Springer Science + Business Media.によると、スーパーバイザーがセラピストに対して「可能性を見る感受性と協働」(collaboration and sensitivity (including seeing possibilities))の姿勢や「ゴールや能力に焦点を当てる」(a focus on goals, and a focus on client competence)視点を示すことは、そのままセラピストのクライエントに対する態度につながることが事例を通して示されている(pp. 173-175)。本研究結果や上記に示した語り手と谷中のかかわりにおいても、同じような現象が起きていたのではないかと考えられるのである。

これらのことから、支援者や、また支援者を支援する教員やスーパーバイザー自身が癒やされ、元気づけられ、信じられた経験が持てるよう学びの場を整えていくという優しさの連鎖を生み出す暗黙知の継承が、今後の精神保健医療福祉において可能性を持つと展望できるのである。

Ⅱ. 結論

本調査の結果、①予備調査で生成された仮説の検証、②新たな仮説の生成、③主題の再構築という3点の成果を得ることが出来た。具体的には、本章の「谷中はどのように精神科ソーシャルワーカーとしての価値を共有したか」というリサーチクエスチョンに対する「学習者のニーズ中心に学びの場を整えた」という仮説は、【引き出しが全国版】と【愛情故の先回り】というコードより、「主体性を引き出す自由な環境づくりに目を向けた」という仮説は、【託していった】、【意外と任せない(笑)】、【自立を認める】というコードより、「精神障害のある人や他の支援者と学びあう構造を持っていた」という仮説は、【実践家のつながりづくり】、【学生のつながりづくり】、【地域に学びを開く】、【谷中自身も癒やされていた】というコードより検証された。この上で、【Paid forward】と【実践家の持つ逞しさ】という2点のコードが生成され、予備調査で生成された仮説の他に、「我々の中にも谷中輝雄はいる」という新たな仮説が生成された。また、本研究全体の構成は、①「人材育成」という語句への違和感、②「学び合い」への示唆、③「谷中の生涯を通した価値形成過程を辿る研究」への示唆という契機を経て再構築されていった。

これらの結果を踏まえ、今後の精神保健医療福祉に取り組む人々の学び合いには、「地域に開かれた精神保健医療福祉学」、「現象学的なストレングス視点の研究」、「優しさの連鎖を生み出す暗黙知の継承」という3点の可能性を展望した。