第二章 谷中輝雄はどのように精神科ソーシャルワーカーとしての価値を共有したか
第三節 インタビュー調査の結果(3/5)
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※・は沈黙、ーは長音(各記号1つごとに1秒)、*は調査者、あいづちや笑いなど語りの間に挟まれた発語は//で挟んで示しています。また、語り手のIDは表に示した語りの文末に記しています。
Ⅱ. 予備調査で生成された仮説の検証
3. 精神障害のある人や他の支援者と学びあう構造を持っていた
予備調査で生成された第3の仮説である「精神障害のある人や他の支援者と学びあう構造を持っていた」という仮説は、【実践家同士のつながりづくり】、【学生同士のつながりづくり】、【地域に学びを開く】、【谷中自身も癒やされていた】という4点のコードにより検証された。以下にコード生成にあたり参考にした語りの部分と合わせてコーディングの過程を示していくこととする。
(1). 【実践家のつながりづくり】
谷中は「やどかりの里」において精神障害のある人の仲間づくりを重要視していたように、実践家同士の仲間づくりにも学び合いの場を通して力を入れていた。以下は【実践家同士のつながりづくり】というコードの根拠となった語りの部分である。
それから外からあのお客さんが見えて、研修に来られる。//*: うん。うん。//その方たちとの交流があのものすごくこう、あの、なんですかね、楽しかったというか。//*: ふーーん。//ああ、自分、やどかりはこういうところでこうやっているんだけども、//*: うん。//外の世界にはそういうこともあるんだなと。それから、やどかりのどういうところが皆さんその、おー、まぁ学びたくて来ているのかなと。//*: うん。うん。うん。//そのどういうところが学びたくて来てるよって話を聞いて、//*: うん。//やどかりのことを、自分がわかるっていうか。(中略)どういう意味でやどかりに来ているのかこの人はって。//*: うん。うん。うん。//で、どういう活動やってるんだっていう風な。うーんそれとその、なんですか。その人の生きざまみたいな。//*: うん。//その人がどんな思いでやってるんだろうかと//*: うん。//言う風なことをこうお話を聞くのが//*: うん。//とても楽しかったというか、//*: ふーーん。//刺激になったということですね。(ID-D)
いろいろな人達がいろいろな所でやっぱり現場の話とかそうだよねああだよねとか迷ったり考えたりとか悩んだりしているのを聞きながら、やっぱり自分だけじゃないみたいな?//*: ふーーん。//だから谷中先生が当事者の人たちのセルフヘルプみたいなことをすごく語るんですけど、//*: うん。うんうんうん。//ソーシャルワーカーも常に迷ったり悩んだりとかしてますよね。//*: うんうん。//だからそういう中で一緒に話す人たちがいる?//*: うん。//例えば同じ職場ではなかなか言えないこととか、//*: うん。うん。//まぁ主張できないこととかまぁいろいろなことがあるんですけど、それをそのやどかりに行って//*: うん。//聞いてくれる人たちがいて//*: うん。//語り合える人達がいたってことが大きいんじゃないかな。みたいな。//*: うーん。うんうんうん。//思うんじゃないかな。その中心には常に谷中先生がいた//*: うん。うん。//んですよね。(ID-U)
それと我々はほら//*: うん。//家庭が無かったら栄養失調なるんじゃないかっちゅうて、//*: ふーーん。//○○さんとか、//*: ああーー。//○○さんもそうやけどもみんな作ってくれたんや。//*: ふーーん。//家から持って来たりね。//*: うん。//で、木曜日はみんなで話して。ミーティング終わったら//*: うん。//食事を一緒にして、//*: うん。//それからやどかりどうしようかなんとかってディスカッションみたいのが遅くまで続いてったってこと。(ID-B)
やどかりセミナー行くでしょ。そうするとね、○○市区町村の人は、か、かまぼこ持ってくるしね、それから○○さんは酒背負ってくるとかさ、//*: うん。//うん。みんな、はは(笑)、特産品みたいなの持ってきてはねバーンと出してね、それでもってみんなでもってね、酒飲みながらね。一晩。(ID-J)
○○温泉だったかな、どっか泊まってやったときはね、いろんなこうみんなで車座になっていろんなこと語りあかした思い出がありますよ。(中略)世間話も含めて、あの、やっぱりこれからの精神医療がどうあるべきかみたいなことをいろいろ意見交換したと思いますよ。//*: うーーん。//特にT事業所の活動っていうのは立ち上がったばっかりだったし。ね。あ、そうだ、そう意味で参考になったのと(ID-T)
谷中さんとかJ都道府県のJ、//*: あ、はい!//うん、彼とは良く話し合ってた。集まっては飲みながらそんな話ばっかりしてたよ。//*: へーー。//自己決定ってあるよねって、してましたね。//*: うーん。//そんな話をよくやってましたね。ふふ(笑)。(ID-Z)
ID-Dの語りからは、「やどかりの里」の内部より外部の研修を受けた立場として、ID-Uの語りからは、「やどかりの里」の外部より研修に訪れた立場として、当時の実践家同士の交流の様子が語られている。2つの語りに共通しているのは、その交流が実践家としての癒しや元気づけにつながっていったという点である。また、実践家同士の交流は、そうした心の栄養補給だけでなく、ID-Bの語りによると、身体的な栄養補給も意図されていたという。各地域で事業所を展開しているID-J, T, Zの語りにおいても、当時の実践家同士の交流が酒や温泉や特産食品を挟んで展開されていたことが示されている。
これらの語りから、谷中が取り組んだ実践家同士のつながりは、美味しい食事、酒、また温泉を挟んだ交流を通して、学びを超えた心身の栄養補給の場となっていたと考えられる。これらのことより、「精神障害のある人や他の支援者と学びあう構造を持っていた」という仮説を支える事例として【実践家同士のつながりづくり】というコードが生成された。
(2). 【学生のつながりづくり】
また、谷中の「やどかりの里」を通した学び合いの場づくりの取り組みは、大学教授に就任後も学生達に活かされていく。以下は【学生同士のつながりづくり】というコードの根拠となった語りの部分である。
博士課程修士課程っていうゼミでもないし、M1M2っていうわけでもなくて、谷中ゼミの場合みんな集まってて。(中略)結構面白いのはそこから先で、//*: うん。//そのときは割と普通にゼミをされているんだけど、//*: うん。//だいたい終わった後飲みにいくんですね。//*: うんうんうん。//谷中先生結構その居酒屋とか飲んでる場所で今日の話こうだったよねってみたいなことされたりとか、//*: うーーん。//ご自分の経験をもとにこういうことなんじゃないのかってお話をされることがお好きだった。(ID-P)
みんな働いてから来てますんで、//*: うん。//話の内容も結構その実際と実践と//*: うん。うん。//その理論の所を行き交うんで。それはそれは結構面白かったですよ。//*: うんうん。//っていうのはありましたね。だからまぁ意図としてたのかもしれないですね。//*: ふーーーん。//谷中先生は。うん。だから谷中先生のゼミ生で行ってて、何かしっかりこう席に座って何か講義を聞いたってことは一度もなかったですからね。//*: ふはははは(笑)。//とにかくみんなで話すみたいな。(ID-U)
先生ご自宅開放してるんですよね。○○市区町村にいるときも。あの、//*: うん。//○○市区町村にいるときも。あの大学に怒られてるんですけど、かなりね。//*: うん。//とか、あと○○市区町村に住い構えていたときも、//*: うん。//あのーご自宅開放しているので私たちとか地域の仲間たちがもう普通に出入りさせてもらって。//*: へーーー。//そこで一緒にご飯食べたりお酒飲んだりディスカッションしたりというような//*: ふーーん。//場を作ったりとかもありますね。院の1期2期ぐらいの人達がまぁあいの里で自分たちも住いを提供しながらって感じの、//*: うん。//勉強会とか研修センターみたいなのをつくって//*: あ、うんうんうん。//やったりとかもしてますけど、先生自体もご自宅を開放して。//*: ふーーーん。//学部生や院生が入り浸ってたりだとか、そこで卒論書いてる学部生がいたりとか//*: へーーー。//っていうのはよくしてましたし。(ID-W)
○○さん(大学院の先輩)って方が//*: うん。//結婚されていた奥さんと一緒に住んでいた家に//*: うん。//一軒家なんですけども、//*: うん。//そこに//*: うん。//現場のワーカーを月に一回とか月二回ぐらい集めて//*: おお。//そして私たち卒業生も来ないかって言ってそこに集めて、で、そこでいろんなことが話し合われて研修、まぁいわゆる研修会みたいなことが行われていたんですよね。//*: うん。//で、えっとあいの里研修センターという風に名前を言って。(中略)いろんな仲間と出会い卒業生とのつながりがまたがっている。谷中先生を通じてまたがっている。(ID-R)
○○さんがいなくなってから集まる場所がなくなっちゃったんで, //*: うん。//そういう機会がなくなったのはさみしいねって言って、//*: うん。//やっぱりせめて現場のワーカーを集める力が僕たちにはないので、R大の卒業生だけでも//*: うんうん。//集まって//*: うん。//自由に語れる場、//*: うん。//つまりええとPSWのセルフヘルプグループとか//*: うん。うーんうんうんうんうんうんうん。//PSWの自助グループ的な語らいの場はぜひ作りたいねって言って//*: うん。//えっとー作った研修会が、うーんと臨床実践研修会っていう研修会を立ち上げたんです。(ID-R)
ID-P, Uの語りによると、谷中のゼミが学位を問わず全員で行われていたという。そのため、実践経験の無い学部生も実践経験のある院生の語りを聞くことにより実践と理論のつながりを学ぶことが出来、また、ゼミを終えた後もやはり酒や美味しい食事を挟んだ学びが展開されていったという。
そして、ID-R, Wの語りでは、その学生同士のつながりが谷中の自宅開放を通して地域へ、また、「あいの里研修センター」や「臨床実践研修会」という学生の自助の力へと広がりを見せていったことが示されている。
(3). 【地域に学びを開く】
こうした谷中の【実践家同士のつながりづくり】や【学生同士のつながりづくり】は、常に地域に開かれていて、多様な人々の学び合いの場につながっていった。以下は【地域に学びを開く】というコードの根拠となった語りの部分である。
谷中先生と//*: はい。//あのー実践セミナーをあのー共同開催していくんですよ、ここは。//*: あっ。ふーーん。//いわゆるあのやどかりの里でやっている実践セミナーです。すなわちやどかりに行ってそのセミナーに参加してくるって、全国から集まってね、//*: はい。//やるってことではなくて、//*: はい。//それと同じものを○○都道府県でやって、//*: うん。//○○都道府県の各地で、いくつか、例えば○○都道府県の○○島も含めてね//*: うん。//一緒に行って、そこでもって実践セミナーをやることによってそこの地域を活性化していくってことなんですよ。//*: うーーーん。//それも一つの教育といえば教育でしょ。//*:はい。//社会教育みたいなもんですよね。//*: うん。//それでそういうことをやっていって、それで共同開催したんです。(中略) 生きた灯台。//*: ああ、うんうんうん。//まさにそうだったんですよ。僕にとっては。やどかりはやっぱり灯台だったですよ。うん。遠くからも見える。見たい近く行って見たい。//*: うん。//近づきたい。ああいう風になりたい。ああいう風に生きたい//*: ああ。//というね。(ID-J)
やどかりの里の運営にあたっては全国のPSWのカンパが非常に効いています。//*: ああ。//だから全国のPSWがやどかりの里を支えていたということです。(中略)で、そういう形で谷中さんはあのPSWの力量を高めるために、一つの一定の使命感、・・自分のやらなきゃならないこととしてね、感じてこう・・拠点にすると、で、それをまた谷中さんにとって、僕は「やどかりの里」を、「やどかりの里」を、あのここまで継続することができたのは、皆さんが支援してくれたおかげだっていうことの恩返し?感謝の気持ちを込めてね。やっぱり充実していかなきゃという両方の意味をあったという風に思う。(ID-M)
リフレッシュセミナーという形であのー学生さんがテコになって、それで北海道の専門家の方々に声をかけて、それで1泊2日で温泉地に泊まってえーー温泉地のホテルで、旅館で話し合いをしてっていう研修を3回やってたんですけど、そういうところで運転手は全員学生。先生の学生。//*: へーーー。//あのー4年生の学生、学部生もいるし院生もいるし、だいたいレンタカーとか自分の車3台か4台連ねて、それにまた便乗して、・・・・それでー道内いろんなところに行って、その現地のあの組織を見学して、そこで話し合ったり、まぁこれはかなりの意味でのその院生にとっても学部生にとってもあのー授業を超越した授業になってたと思いますね。(ID-E)
私がその白百合に話に行った時も//*: はい。//普通だったら学生さんとあの私が話すっていう風なことに//*: うん。//なるのがまぁ普通かなって思いますけど、もう地域の人がいーっぱい来てくれて。//*: ええー。//だから彼が呼んだんですよね。だからソーシャルファーム勉強しようよって。みんなで。//*: ああー。//地方は本当にソーシャルファーム的な考え方がないと//*: うん。//一般企業への就職ってだけじゃ無理なんですよ。//*: うんうんうん。//やっぱりこう重篤な方もいらっしゃるし。//*: うん。うんうん。//だけどその人なりの働ける力ってのは必ずどなたにもあるわけなので//*: うん。//やっぱりそれをこう出してもらいながら//*: うん。//それで仕事としてどういう風にこう、なんていうのかな、あの、ビジネスにしてくかっていうところに対して//*: うん。//の挑戦的な//*: うん。//そういうものって必要だよねって。//*: うん。//地域は特に。//*: ふーーーん。//そうじゃないと地域が死んじゃうよねっていう。(ID-A)
ID-Jの語りからは、第1章4節で考察されたように、谷中が自らの活動によって仲間を引き寄せていったことが、ID-Mの語りからは、その仲間への恩返しとして地域に学びを開いていったことが、ID-Eの語りからは、そうして築いたネットワークを大学教育に活かしていったことが、そしてID-Aの語りからは、再び大学教育を地域に開いていったという「よい循環」があったことが示されている。これらのことから、「精神障害のある人や他の支援者と学びあう構造を持っていた」という仮説を支える事例として【地域に学びを開く】というコードが生成された。
(4). 【谷中自身も癒やされていた】
また、実は谷中はこれらの学び合いの場づくりを通して自分自身も癒やされていたのではないかと考えられる事例も語られていた。以下は【谷中自身も癒やされていた】というコードの根拠となった語りの部分である。
SCAっていうキリスト教の//*: ふーーん。//なんだ、Student Christian Associationか。//*: ふーーん。//そういうSCAっていう組織があって、まぁ研究会だよね、そこの人達が、彼も入って会員だったから、//*: ふーーん。//非常に支え手になってくれてたのは事実だね。(ID-K)
まぁ彼は非常になんていうんだろうゼミの中ではリーダー的な役割をしていたし, //*: ふーーーん. //まあ相談的な役割もしてたんで. うんまあ年齢的にも一つ上だしね。//*: うんうん。ゼミ長的な役割をされてたんですか?そうすると。//ゼミ長は私がやってたんですが。//*: へぇーー。//うん。それですごい仲の良いゼミでね。//*: うん。//だからいまだに集まってる。//*: ふーーーん。//来年もまた集まろうって話をしたな。//*: へえーーー。//つながっているからね。みんなに聞けばいろんなことを知ってる、谷中さんのことわかるんだけど。全員一年に一回はどっか行ってたし。//*: ふーーん。//学生時代はもっと多くあちこちへ行ったり//*: ふーーん。//卒論、卒論合宿のときもやったぐらいだから。・・・そういう中での仲間内の支えっていうのは大きかったと思う。(ID-K)
きっとそういう輪の中にいる谷中先生ももしかしたら癒されていたんじゃないかなって。//*: ああ!うんうんうんうんうんうんうんうんうん。//結構寂しがり屋の先生だったから。うん、癒されてたような気もする。//*: うんうん。//だからきっと何かをしてあげるって、いわば支援者と呼ばれている人も、絶対何か支援した時に返ってきたものが癒しに変わっているはずなんだよ。//*: うん。うんうん。//やってよかったーって。こういう風に助けられてよかったーって。で、そこでもやっぱり強められたり、//*: うん。//勇気づけられたり。//*: うん。//力をいただきながら人って生活してるんじゃないかなって。//*: うん。//時にね、痛い目見るときも//*: うん。//人だからあるけど、//*: うん。//また人の中で癒されたりしているのが。//*: うん。//・・うまく言えないけど、//*: うん。//なんかそんな感じで谷中先生も・・いや、すごい立派なすごいもうもう神様のような存在だけど、//*: うん。//ただの人っちゃただの人だった。//*: うん。//うん。だからきっと先生も楽しんでいて、//*: うん。//先生もなんかやりがいだったり、//*: うん。//生きがいだったり、//*: うん。//日頃の疲れが//*: うん。//吹っ飛んでいたんじゃないかなって。(ID-S)
谷中と同じゼミ生であった語り手によるID-Kの語りからは、谷中が学生時代から人の中で支え合ってきたことが、ID-Sの語りからは、その後もつなげた人々の中で谷中自身もまた癒やされていたことが示されている。このことから、「精神障害のある人や他の支援者と学びあう構造を持っていた」という仮説を支える事例として【谷中自身も癒やされていた】というコードが生成された。
これらの過程を経て、本章の「谷中はどのように精神科ソーシャルワーカーとしての価値を共有したか」というリサーチクエスチョンに対する「学習者のニーズ中心に学びの場を整えた」という仮説は、【引き出しが全国版】と【愛情故の先回り】というコードより、「主体性を引き出す自由な環境づくりに目を向けた」という仮説は、【託していった】、【意外と任せない(笑)】、【自立を認める】というコードより、「精神障害のある人や他の支援者と学びあう構造を持っていた」という仮説は、【実践家同士のつながりづくり】、【学生同士のつながりづくり】、【地域に学びを開く】、【谷中自身も癒やされていた】というコードより検証された。