第一章 谷中輝雄はどのように精神科ソーシャルワーカーとしての価値を形成したか
第三節 「健康な部分」と「生活のしづらさ」の形成過程(1/3)
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Ⅰ. 本節の目的
本節の対象は、谷中の「健康な部分」と「生活のしづらさ」という考えである。一見この2つの考えは真逆のようで、相容れない関係の様に見える。しかしながら、谷中は精神障害のある人が病者としてのみ捉えられていた当時の実践において、精神障害のある人の地域生活への望みや「健康な部分」を重要視し、その上で「生活のしづらさ」がある生活者として捉えるという1つの文脈の中でこの2つの考えを共存させていった。この文脈は、現代の精神科ソーシャルワークにおいて主要となるストレングスモデルとも共通する。何故なら、ストレングスモデルにおいても、人の特性やスキル、環境や願い等のストレングスに焦点を当てながらも、問題は無視されるのではなく、その人の願いや希望がどこに向っているか、その上でどのようなことが障壁になっているのかという文脈の中で初めて位置付けられるからである。(ラップ&ゴスチャ(2012/2014ラップ, A, チャールズ&ゴスチャ, J, リチャード(Rapp, C, A. & Goscha, R, J.)(2014)『ストレングスモデル―リカバリー志向の精神保健福祉サービス―【第4版】』(田中英樹監訳)金剛出版(原著は2012)., pp. 129-30)。
しかしながら、前提した表2-5の「健康な部分」と「生活のしづらさ」の頻出度をたどると、活動当初は「健康な部分」よりも「生活のしづらさ」に焦点が当てられていたことが分かる。以下図1は表2-5で示された「健康な部分」と「生活のしづらさ」の頻出度の年次推移を表したグラフである。
図1 「健康な部分」と「生活のしづらさ」の頻出度の年次推移
一方で、図1では、1980年に一度「健康な部分」の頻出度が「生活のしづらさ」の頻出度を上回り、1990年以降は2つの考えの頻出度がほぼ同じ推移を辿り、2000年以降は「健康な部分」の頻出度が「生活のしづらさ」を上回る頻度が多くなっていることも示されている。では、この「健康な部分」の頻出度が伸びた各年代の背景には何が起きていたのであろうか。本節ではこの「健康な部分」と「生活のしづらさ」という考えの形成過程に影響を与えた要素を明らかにすることを目的とした。
Ⅱ. 先行研究
先行研究においても、谷中の実践とストレングスモデル及びその他のストレングス視点に基づいた実践との親和性が指摘されている。例えば、藤井達也(2004)藤井達也(2004)『精神障害者生活支援研究―生活支援モデルにおける関係性の意義―』学文社.は、「やどかりの里の生活支援とストレングス視点の実践の共通部分は、出かけていって、精神障害者の望む生活の雑用に一緒に取り組んで小さな希望を実現していくところである。このような実践の積み重ねによって、関係が確立されて、その関係を基盤として、さらに協働の活動が展開されるのである」(p. 172)と「やどかりの里」における精神障害のある人との日常生活における関係性構築の重要性をストレングス視点に基づいた実践と重ねて述べている。また、江間由紀夫(2014)江間由紀夫(2014)「『生活支援論』再考―谷中輝雄の遺したもの―」『東京成徳大学研究紀要―人文学部・応用心理学部―』21, 45-53.も、ストレングスモデルの原則と谷中(1974)の文献を照合した上で「当事者の力や可能性を信じ、当事者主体と自己決定を重視しつつパートナーとしての対等な関係を構築しようとした谷中の実践がストレングスモデルを先取りしていたことが解る」(p. 48)と述べている。また、谷中(2010)谷中輝雄(2010)「地域生活支援—リカバリーへの道筋—」『精神科臨床サービス』10, 496-99.自身も、「やどかりの里の初期の頃の共同生活の中から学ばされたこととして、『病者としてでなく、生活のしづらさをかかえる生活者として』『その人の長所に視点を』『その人なりの生き方を認める』といった、今日に言いかえるとストレングス視点に立っていたのであった」(p. 497)と自らの活動を振り返っている。
これらの谷中の実践とストレングスモデル及びその他のストレングス視点に基づいた実践との親和性から、本節において谷中の「健康な部分」と「生活のしづらさ」という考えの形成過程分析を行うことは、ストレングス視点に基づいた実践を実現させるための考察の一助になると考えられる。
Ⅲ. 語句の整理
本節では、「ストレングスモデル」と「ストレングス視点に基づいた実践」という語句を分けて使用している。本研究における「ストレングスモデル」とは、1980年代に米国のカンザス大学社会福祉大学院で発展した、慢性的な精神障害のある人が地域で生活をするための取り組みのモデルを指している。対して本節における「ストレングス視点に基づいた実践」とは、ストレングスモデルの理念に通じる実践すべてを指している。
本研究においては、谷中の1980年以前の文献も含めて対象とするため、「ストレングスモデル」を参考にしながら「ストレングス視点に基づいた実践」の考察を行うこととした。
Ⅳ. わが国におけるストレングス視点に基づいた実践の展開
本節において谷中の「健康な部分」と「生活のしづらさ」という考えを扱うに当たり、それらの考えと親和性を持つわが国におけるストレングス視点に基づいた実践の展開を紹介する。
CiNii Articlesで「ストレングス」と検索をかけたところ1671件の文献が抽出され、その内、人を対象とした文献は1522件、さらに、「ストレングス」が「筋力」等身体的な要素を中心に捉えられている文献を除くと304件の文献が抽出された(2018年10月27日検索。文献一覧はこちら)。この内、最も古い文献は小松源助(1996)の文献であり、小松(1996)が海外のソーシャルワーク実践におけるストレングス視点の特質と展開過程を整理したことを皮切りに、その試みは精神保健医療福祉領域のみに留まらず、看護や作業療法、心理、教育等多職種の領域で検討されていった。また、文献の種類を大きく分類すると、①ストレングス視点に基づいた実践の解説や概念整理、②ストレングス視点に基づいた実践を志向した実践報告、③ストレングス視点に基づいた実践の具体性を探索する研究、④ストレングス視点に基づいた実践の効果検証、⑤ストレングス視点に基づいた実践を支える環境についての研究、⑥対象者のストレングスに焦点を当てた研究、⑦ストレングスモデルの理論を分析や考察に援用した研究、⑧その他の8点に分類できる。
このように、我が国においてストレングス視点に基づいた実践に関する検討は学際的に多角的に進められてきた。しかしながら、ストレングス視点に基づいた実践は「言うは易し、行うは難し」な実践である。実践の中で困難な状況に直面し続けていると、そうありたいと願っているにも関わらず、人のストレングスを見る視点が失われていってしまうジレンマを抱えることは多くの支援者が経験することではないだろうか。その上で、本節では、「大変な状況の中でもストレングス視点に基づいた実践が実践されるのは、どのような要素が関連しているからなのだろうか」というリサーチクエスチョンを置き、その仮説は第2節の結論を踏まえ「多様な人々との関わりがストレングス視点に基づいた実践を支えるのではないか」とした。本節では、谷中の「健康な部分」と「生活のしづらさ」という考えの形成過程に影響を与えた要素を明らかにすることにより、この仮説検証を行うこととした。
Ⅴ. 方法
本節における「健康な部分」と「生活のしづらさ」という考えの形成過程分析は2段階で行った。第1に、「社会生活上の困難」や「社会的弱点」、「生活障害」等の「生活のしづらさ」につながる言葉と「健康的側面」や「生活の豊かさ」、「強み」等の「健康な部分」につながる言葉が時代によってどのように使用されているかという変遷を時系列に整理した。第2に、第1の分析で整理した2つの概念の変遷と当時の精神保健医療福祉の状況を照合することにより、「健康な部分」と「生活のしづらさ」という考えの形成過程に影響を与えた要素を考察した。