第二章 谷中輝雄はどのように精神科ソーシャルワーカーとしての価値を共有したか
第一節 はじめに
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Ⅰ. 本章の目的
前章における文献調査の結果、谷中の精神科ソーシャルワーカーとしての価値は、①多様な人々との関わりや、②その中で起きたよい循環、そして、③他の支援者の良い実践や精神障害のある当事者の力から学ぶ姿勢により形成されていったことが明らかとなった。
では、こうした周囲の影響を受けて形成された谷中の精神科ソーシャルワーカーとしての価値は、再びどのように周囲の人々に受けとめられていったのであろうか。本章では、「谷中はどのように精神科ソーシャルワーカーとしての価値を共有したか」というリサーチクエスチョンを置き、谷中の精神科ソーシャルワーカーとしての価値共有過程をインタビュー調査により明らかにすることを目的とした。
Ⅱ. 本章の研究方法
本章の研究は予備調査と本調査の2段階で行った。予備調査では、文献調査により谷中の足取りを組織運営の観点から分析し、本章における「谷中はどのように精神科ソーシャルワーカーとしての価値を共有したか」というリサーチクエスチョンの仮説を生成した。本調査では、インタビュー調査により、予備調査で生成された仮説の検証及び補足を行った。分析の方法は、MAXQDA2018を活用した定性的コーディングにより行った。
Ⅲ. 本章における倫理的配慮
本章におけるインタビュー調査は、早稲田大学の人を対象とする研究に関する倫理審査委員会の承認を得て実施された【承認番号: 2017-195】。
Ⅳ. 予備調査の結果
1. 予備調査の目的
予備調査は、谷中の足取りを組織運営の観点から分析することにより、本章における「谷中はどのように精神科ソーシャルワーカーとしての価値を共有したか」というリサーチクエスチョンの仮説を生成することを目的とした。
2. 予備調査の方法
予備調査は文献調査にて行った。予備調査における対象は、①「やどかりの里」の所報、②やどかり研究所が発行した業績集、及び③やどかり出版が発行した雑誌『精神障害と社会復帰』(1996年からは『響き合う街で』に名称変更)とした。これら3種類の文献より、谷中の足取りを「やどかりの里」における組織運営の観点から辿ることとした。なお、①と②の文献は「やどかりの里」の一施設であるやどかり情報館に訪問し閲覧した。
3. 予備調査の結果
予備調査の結果、谷中の精神科ソーシャルワーカーとしての価値共有過程を表す要素として、【草の根的な学びの場の構造化】、【継承から主体性の支援へ】、【組織運営の民主化】、【活動の変化と理念の継承】という4つの要素を抽出した。以下にその要素ごとに抽出の根拠を示すこととする。
①【草の根的な学びの場の構造化】
「やどかりの里」は、活動初期から多くの学びの事業を展開していた。例えば、やどかりの里における調査研究委員会が発行した『YADOKARI NO SATO SUB NOTE』(1977)調査研究委員会(1977)『YADOKARI NO SATO SUB NOTE』やどかりの里.によると、「やどかりの里」が中間宿舎以外の事業を展開し始める1972年から既に「社会復帰講座部門」や「研究部門」が組織構造の中に組み込まれていたことが示されている。またその翌年の1973年には「教育研修部門」も発足している。(「第Ⅱ部 資料編」参照)
これらの業績集における組織構造の情報より、谷中の精神科ソーシャルワーカーとしての価値共有過程を表す要素として、【草の根的な学びの場の構造化】という要素を抽出した。
②【継承から主体性の支援へ】
やどかりの里の一事業であるやどかり出版からは、1979~1996年まで『精神障害と社会復帰』という雑誌が刊行されていた。その雑誌と谷中の関わりは深く、初巻から最終巻までの37巻のうち、谷中は発言の記録も含めて81本もの文献に貢献をしていた。また、1986年に発行された12巻で「やどかりの里を支える人々の思い」という「やどかりの里」の職員の言葉を集めた特集が組まれると、谷中(1987)はその内容を引用しながら以下のように組織運営のあり方を考察している。
活動の継承性とは、先輩たちのやってきた仕事を継承するという意味だけでなく、常々その活動に集まってきた人たちで新しく創造をしていくものであり、そのつどある輝きをもって、生き生きとした活動を生み出していくものであろう。(中略)自由さも生き生きとしたものを生み出す原動力のようである。一人一人のこうした思いを損ねないで、さらに大きくふくらませることが大切であるし、このような思いを持っている人のいることで活動はまた前進するものなのであろう。(谷中輝雄, 1987谷中輝雄(1987年2月)「生き生きとした活動のために」『保健婦雑誌』43(2), 94-96., p. 96)
上記の文章からは、谷中が雑誌の特集を通してやどかりの里で働く職員の思いに気付き、組織運営の意識を自らの活動の継承から一人一人の生き生きとした活動を生み出す自由な環境作りにむけていったことが伺える。このことから、谷中の精神科ソーシャルワーカーとしての価値共有過程を表す要素として、【継承から主体性の支援へ】という要素を抽出した。
③【組織運営の民主化】
谷中が多くの文献を遺した雑誌『精神障害と社会復帰』も、1996年には『響き合う街で』という名称に変更され、その内容は精神障害のあるやどかりの里メンバーや後進の職員による執筆・発言で構成されていった。以下図4、図5は雑誌『精神障害と社会復帰』及び『響き合う街で』の中で谷中が関わった文献の出現度を示している。
図4 『精神障害と社会復帰』における谷中の文献の出現度
図5 『響き合う街で』における谷中の文献の出現度
図4では、谷中が『精神障害と社会復帰』の1巻(1979)、5巻(1983)、7巻(1984)、8巻(1984)、14巻(1987)、15巻(1987)、17巻(1988)、18巻(1988)、20巻(1989)、21巻(1989)、22巻(1990)、23巻(1990)、32巻(1993)の中で3本以上の文献に関わっていたことが示されている。しかしその数は33巻(1993)以降は落ち着き、図5では、雑誌名の変更後はほぼ1巻につき1-2本の頻度にとどまっていることが示されている。なお、『響き合う街で』における谷中の文献の出現は27巻(2003)までであったため、その後の巻数は省略している。
このやどかり出版が発行する雑誌における谷中の文献の出現度に影響を与えた背景としては、谷中が1997年に仙台白百合女子大学の教授に就任し「やどかりの里」では常勤から非常勤に勤務形態が変わったことや、2002年にやどかりの里の理事長を交代したことの影響の他に、「やどかりの里」における【組織運営の民主化】が起きていたこともひとつの要因として考えられる。
例えば1997年の所報には、谷中と「やどかりの里」との関係が「週の前半は大学で後半は講演や委員会でほとんどやどかりを留守にする。おかげで若い職員らが自ら中心になって活動を進めるようになった」(湯浅和子・飯田たか枝・浅見典子, 19971997(平成9)年度所報「やどかり」編集委員会編(1997)『所報 やどかり』やどかりの里., p.6)という言葉で示されている。また、谷中自身も自らの立場に対する葛藤を以下のように表現している。
経験を重ねるに従って先が見えてきて、知らず知らずのうちに私は先回りをしがちになっていた。また、少し偉く思われるようになり、権威的にもなっていって、彼らは実に素直に私の提案を受け入れてくれるようになっていった。(中略)穏やかに「こんな方法もあるし・・・・・・」という一言が、周りには「そうしなさい」と聞こえてしまうようになった。さらに、言うことに従わないと不利益を蒙る、と思われるようになっていった。私の言うことに従わないと、「やどかりの里」を出されてしまうとか、見放されてしまう、というような風評が立つに至って、私は第一線を退く覚悟をした。(谷中輝雄, 1996谷中輝雄(1996)『生活支援―精神障害者生活支援の理念と方法―』やどかり出版., pp.62-63)
谷中(1996)はこの文章の後に精神障害のある人と周囲との通訳者という自身の役割意義を振り返ることにより、当事者中心の関わりについて考察している。このことからは、自らが「やどかりの里」を先導するあり方から、やどかりの里における【組織運営の民主化】を谷中自身が望んでいたのではないかということが伺える。
これらのことから、谷中の精神科ソーシャルワーカーとしての価値共有過程を表す要素として、【組織運営の民主化】という要素を抽出した。
④【活動の変化と理念の継承】
では、谷中が「やどかりの里」を離れた後、そのあり方は理念ごと変化していったのであろうか。「やどかりの里」の所報(2017)を見る限り、その活動は時代に合わせて変革されながらも、谷中が遺した理念は現在も息づいていると考えられる。何故なら、現在の「やどかりの里」の職員倫理綱領には「ごくあたりまえの生活」という言葉がその意味と共に明示されているからである。(やどかりの里, 20172017(平成29)年度所報「やどかり」編集委員会編(2017)『所報 やどかり』やどかりの里., p.55)
このことから、谷中の精神科ソーシャルワーカーとしての価値共有過程を表す要素として、【活動の変化と理念の継承】という要素を抽出した。
Ⅴ. 予備調査の考察と結論
予備調査の結果より、「谷中はどのように精神科ソーシャルワーカーとしての価値を共有したか」というリサーチクエスチョンの仮説として、【草の根的な学びの場の構造化】と【継承から主体性の支援へ】という要素からは「学習者のニーズ中心に学びの場を整えた」という第1の仮説が、【継承から主体性の支援へ】と【組織運営の民主化】の要素からは「主体性を引き出す自由な環境づくりに目を向けた」という第2の仮説が、そして4点の要素すべてからは「精神障害のある人や他の支援者と学びあう構造を持っていた」という第3の仮説が生成された。
これら予備調査の知見を踏まえ、次節に本調査の結果を示していくこととする。