第一章 谷中輝雄はどのように精神科ソーシャルワーカーとしての価値を形成したか
第四節 「いこいの家」の実現過程(3/3)
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Ⅴ. 考察
本節においては、ソーシャルアクションの本質を掴み、効果的な方法を展望する上で、「谷中の『いこいの家』という考えの実現過程は現代のソーシャルアクションとどのような共通点を持つか」というリサーチクエスチョンが置かれていた。そして本節における分析の結果、当事者のニーズの明確化を起点とし、事業実践を示すことで制度化していく根拠を高めるという共通点が明らかとなった。しかしながら、谷中が自らの活動を根拠に理念や課題を発信し、仲間を募っていったという高良(2017)のモデルとの相違点もまたソーシャルアクションの本質であると考えることができる。以下にその背景にあった谷中の価値が示された文章を引用することとする。
今、制度化ということで、政策とか制度というのは変わっていきますが、実態が伴っていない状態なのです。だから、現在の人たちの研修とかね、そういうものを高めていかないといけませんね。(中略)でも、ほんとはね、「世の中変われ」って心の中で思ってるんだけど、まずその前に自分が変わんなきゃいけないね。相手に対しても、「変われ」って心の中で叫んでるんだけど、相手が変わる前に私が変わらないと変わらないよね。だからそれが基本なんだよね。やっぱりそうなると、ソーシャルワーカーになるということは、重いこと。でもすごく、自分自身を磨くためには素敵な、それに自分を磨くために給料もらえるなんて、さらに素敵なこと・・・と今では思える。(佐伯浩子・吉弘里奈・福澤佳香・谷中輝雄, 2008佐伯浩子・吉弘里奈・福澤佳香・谷中輝雄(2008)「いくつもの熱く高い壁―それでも挑み続ける 谷中輝雄氏を訪ねて―」『Socially』16, 99-105., p. 104)
この自らが変わり、活動することで仲間を募っていった谷中のソーシャルアクションのあり方は、これからの人々による社会構造的な問題への取り組みを考察する上で示唆深い。
例えば、谷中と共に「やどかりの里」を立ち上げ当初から支えてきた心理士である田口義子は「当時、自分にイデオロギーはなかったが、谷中先生の言うことは正しいという確信。私はここに来て徐々に目ざめてきた。それに、志村さんやメンバーの生きざまに圧倒されていた。この人達についていって損はしないと」(やどかりの里十周年記念式典実行委員会編, 1980やどかりの里十周年記念式典実行委員会編(1980)『やどかりの里歩み十年』やどかりの里十周年記念式典実行委員会., p.44)と活動参加への動機付けを述べている。また、精神障害のある人の家族であり「やどかりの里」の会員であった粕谷慶治も「関わりをもつということは、はっきり意識して初めから関わるのではなく、後から認識することも多い。スタッフの大変さをみることによってここ迄関わってきた」(やどかりの里十周年記念式典実行委員会編, 1980やどかりの里十周年記念式典実行委員会編(1980)『やどかりの里歩み十年』やどかりの里十周年記念式典実行委員会., p.44)と述べている。事務員として「やどかりの里」を支えてきた湯浅和子(1986)湯浅和子(1986)「やどかりは生活そのもの」『精神障害と社会復帰』6(2), 26-29, やどかり出版.も「少し本気でやどかりの面倒をみなくっちゃと思い始めたのです。この頃、谷中先生はかなりお体の具合を悪くされていて、たぶんその辛さで、身の置き所がなかったのではないかと思います。それでも、この仕事をやっていかなければという、なんか言葉では言わないのですが、そばで見ていると、気力というか、意地というか、それだけでやっと立っているような気がして、それじゃ、私に出来ることはなんだろうと真剣に考えるようになったのです」(p.27)と述べている。そして、スタッフとして、精神障害のある人の家族として、そして研究者として「やどかりの里」を支えてきた藤井達也(1986)藤井達也(1986)「生き生きと活動するために―生きざまの社会学メモ―」『精神障害と社会復帰』6(2), 39-42, やどかり出版.も「私が最初に里に魅かれたのは、『精神障害者』のごくあたりまえの生活を求めての活動が、現代を生きる人間の生活を豊かにすることでもあるという活動理念であった。やどかりの出版物を読み、その理念に共鳴したから、調査対象地にも選んだのである」(p.40)と来里の契機について述べている。
これらの谷中の活動に協力をしていた人々の言葉からも、ソーシャルアクションの全過程で実践家が自らの活動を根拠として示す有効性が示唆される。
しかしながら、この有効性の裏には「では、実践家自身が燃え尽きてしまったときにはどうするのか」という課題も共存する。谷中(2001)谷中輝雄(2001)「燃えつきないために―ザ・ヴィレッジセミナーとリフレッシュセミナーを開催して―」『心と社会』105, 88-95.自身も「やどかりの里」の活動の中で2度の燃え尽き体験があったという(p.94)。そして、その葛藤は当時の文献(谷中輝雄, 1987谷中輝雄(1987年2月)「生き生きとした活動のために」『保健婦雑誌』43(2), 94-96.)にも「活動の現場における苦労とは、活動が生き物と同じで、生き生きとしたところに創造性が発揮され、創造力があるところに生き生きしたものが働く循環があると考えると、このよい循環を創り出していくこと、そのことが苦労であると思わされる」(p.96)という言葉で示されている。一方で、この谷中の燃え尽き体験からの回復を支えたものが「まわりからのサポート」(谷中輝雄, 2001谷中輝雄(2001)「燃えつきないために―ザ・ヴィレッジセミナーとリフレッシュセミナーを開催して―」『心と社会』105, 88-95., p.94)であり、組織の「自由さ」(谷中輝雄, 1987谷中輝雄(1987年2月)「生き生きとした活動のために」『保健婦雑誌』43(2), 94-96., p.96)であるとも同文献で述べられている。こうした活動の継続性を支える「よい循環」がどのように起こりうるものであるのか、その具体性を明らかにしていくことが今後の課題であると考えられる。
Ⅵ. 本節の結論
本節における分析の結果、「いこいの家」という考えの実現過程は①精神障害のある人の願いから生成され、②精神障害のある人の家族の力を活用した「茶の間」という形で取り組まれ、制度化に当たっては③自らの活動によってその機能を実証していく谷中の努力があったという3つの特徴を持つことが明らかとなった。このことを現代のソーシャルアクションを反映させた高良(2017)のモデルと比較検討すると、その共通点からは、当事者のニーズの明確化を起点とし、事業実践を示すことで制度化していく根拠を高めるという時代を通したソーシャルアクションの普遍性が、その相違点からは、ソーシャルアクションの全過程で実践家が自らの活動を根拠として示す有効性が示された。一方で、こうした活動の継続性を支える「よい循環」がどのように起こりうるものであるのか、その具体性の検討という今後の課題も考察された。