第一章 谷中輝雄はどのように精神科ソーシャルワーカーとしての価値を形成したか
第四節 「いこいの家」の実現過程(2/3)
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Ⅳ. 結果
1. 「いこいの家」の実現過程の特徴
本節における分析の結果、「いこいの家」の実現過程には①精神障害のある人の願いからの生成、②家族の力を活用した「茶の間」、③活動による実証という3点の特徴があることが明らかとなった。
①精神障害のある人の願いからの生成
第1の「いこいの家」という考えの実現過程における特徴は、その考えが精神障害のある人の願いから生成されたという点である。以下にそのことが示された文章を引用する。
以前、デイケアのメンバーから要望されていたことの中からいくつかが、宿舎建設を機に実現化されようとしています。それは、(1)一般の人と何ら変りない生活様式で、徐々に社会になじんでいくこと。(2)退院してもまだ十分で内面を仲間と一緒にとり返し、仲間との助け合いや相談相手とともに社会生活を持続していくこと。(3)問題があったり、入院するまでではないが生活が乱れがちな時に、一時的に休息できる家がほしいということ。(4)定期的な会合がもてるようなたまり場があったらということ。(谷中輝雄, 1972谷中輝雄(1972)「宿舎完成によせて」『機関誌やどかり』1(2), 3., p. 3)
再発を防止するにはどうしたらよいかという患者との話し合いがもたれた折、「退院しても仲間がいて、必要な時にいつでも話し合い、また先生に相談ができ、困った時に泊りがけにげこめる"いこいの家"のようなものがあれば再発を防げるのにね。」彼らは夢として話し合った。(谷中輝雄, 1976谷中輝雄(1976)「退院者と生活をともにしてー中間施設『やどかりの里』の試みー」日本精神医学ソーシャル・ワーカー協会編『精神科領域に働くソーシャルワーカー』(pp. 16-18), 50年度専門職制度委員会., p. 16)
[谷しおりの手記に対して]振り返って考えるに、今日私がやどかりの里を荷負っているのは彼女の要請におうところが多いのである。入院中に退院の実績づくりのために院外作業療法を開始したこと。退院後のアフターケアとして病院内デイ・ケアを開始したこと。廃止に伴ってやどかりの里へ合併し、グループ活動を開始するに至ったこと。地域の中に「いこいの家」があれば再発を防止できると発言し、後のやどかりの里のイメージを私に焼きつけ、さらには再入院した中でも、やどかり存続への希望をふくらませ、私に発破をかけつづけたこと。私をゆさぶり、動かしたのは彼女の存在が大きかったと告白せざるをえない。(谷中輝雄, 1982谷中輝雄(1982)「精神障害者とのかかわりから学んだこと」『ソーシャルワーク研究』8, 189-195., p. 194)
[谷しおりの手記に対して]病棟の中で、本人の状態よりも家庭の事情で長期入院を強いられている人々がおり、グループを作って定期的にミーティングを持つことを始めた。あなたは覚えていると思うが、その中でこういう発言があった。「具合が悪くなってしまってからでは仕方がないけれど、悪くなりかけた時、そして悪くしないために、いつでも相談できる人、場所。そこに行けば仲間がいて語り合えること。家族とトラブルがあっても逃げ込める場が地域の中にあれば病気はくいとめられる。ぜひ、そういうものを作ってほしい」という趣旨だった。(谷中輝雄編, 1993谷中輝雄編(1993)『旅立ち 障害を友として―精神障害者の生活の記録―』やどかり出版., p. 58)
「退院した後にも仲間がほしい。家族と喧嘩した時に、家族から離れてかけ込める家がほしい、何かあれば、いつでも相談できる仕組みがほしい・・・・・・」/そうだよなと思うようなことを、次から次へと宮千代さんは持ってきて、最後には、憩いの家を作ってほしいとまで言いました。冗談じゃないよ、とその時は思いましたが、後にやどかりの里の活動の中で実現します。(「夢を語りつぎ、新たな創造へ—やどかりの里の過去・現在・未来—」, 2003「夢を語りつぎ、新たな創造へ—やどかりの里の過去・現在・未来—」(2003)『響き合う街で』27, 24-43., p. 26)
ID-94の「彼女」とID-209の「あなた」とID-266の「宮千代さん」は同一人物であり、生前は「谷しおり」というペンネームで手記を執筆していた精神障害のある当事者であった。これらの文献を踏まえると、ID-4の「メンバー」やID-21の「患者」も彼女のことを指していることが推測できる。このことから、「いこいの家」という考えは精神障害のある人の願いから生成されたということが明らかとなった。
②家族の力を活用した「茶の間」
第2の「いこいの家」という考えの実現過程における特徴は、家族の力を活用した「茶の間」という形で取り組まれていた点である。以下は「やどかりの里」において「茶の間」が立ち現れた過程が示された文章である。
職親の協力のもとどんどん仕事にむかっていった時代から、その職親の工場すら通えない人々が増えてきました。茶の間はその人達のたまり場でした。茶の間が憩いの場としての存在を表してきました。(谷中輝雄, 1990谷中輝雄(1990)「春はまだ来ないけど―精神障害者が街中でさりげなく生きていく日がくるまで―」『心と社会』60, 35-39., p. 36)
1976年からは戦線を縮小し、地域精神衛生活動を打ち切り、憩いの家として小さいながら原形を維持させることになった。その時から憩いの家の中心は「茶の間」であった。(坪上宏・谷中輝雄編, 1995坪上宏・谷中輝雄編(1995)「あたりまえの生活PSWの哲学的基礎―早川進の世界―」やどかり出版., p. 67)
The care center is to provide peace of mind and relaxation. When they first begin to use the center, many people come mostly to have a cup of tea and talk in a congenial environment. (Teruo Y, 1993Teruo Y. (1993). The Village of the Hermit Crab. In J. M. Mandiberg (Ed.), Innovations Japanese Mental Health Services (pp. 57-66). Jossey-Bass publishers., p. 59)
They have united strongly through simple social supports, like having a cup of tea together away from Yadokari no Sato or staying overnight at each other's houses. (Teruo Y, 1993Teruo Y. (1993). The Village of the Hermit Crab. In J. M. Mandiberg (Ed.), Innovations Japanese Mental Health Services (pp. 57-66). Jossey-Bass publishers., p. 65)
ID-181, 215の文献からは, 「やどかりの里」の活動が精神障害のある人の就労支援や地域の人々に働きかける地域精神衛生活動という外に向かう活動から、内側に「いこいの家」をつくる方向に移行する過程の中で「いこいの家」が実現されていったことが示されている。ID-202の文献においても、海外に「やどかりの里」の実践を紹介する上で“a cup of tea”という語句を用いて表現していることから、谷中の「茶の間」へのこだわりを見ることができる。
また、谷中はこの「茶の間」という形での「いこいの家」の実現化において、精神障害のある人の家族の力を重宝していた。以下にそのことが示された文章を引用する。
ある母親が、ここに来ていてもあまり仕事もなく暇をもて余し気味だからやめたいと云い出しました。よく聞いてみると、誰も来ない時には庭掃除などをして何とか時間をつぶして来たけれども、自分はさほど役立っていないのではないかと云うのです。その時、私は毎日誰かがつめていて、茶の間の雰囲気を演出するのがお母さん方の役割なのだと励ましたわけです。(早川進・谷中輝雄, 1984早川進・谷中輝雄(1984)『流れゆく苦悩』やどかり出版., p. 126)
茶の間のような日常的なつきあいはその瞬間、その瞬間で楽しくすごせたり、それはそれでいい。それともう1つある程度の距離をもって、ある問題に対して何とかしなくてはいけないということと関係性をずっと持続しようというところでは多少違うんだろうね。僕なんか日常性の世界ではある程度皆さんにおまかせして、急場、緊急な時に出ていくようにしている。(高橋泰子・湯浅和子・須藤淑子・野中順子・飯田たか枝・谷中輝雄, 1986高橋泰子・湯浅和子・須藤淑子・野中順子・飯田たか枝・谷中輝雄(1986)「素人のパワーを活動に生かして―逆境にあるやどかりだからこそ―」『精神障害と社会復帰』6(2), 52-64., pp. 59-60)
はじめてやどかりの里を訪れる方はまず「茶の間」に通される。そこでは家族の方(主に志村澄子を中心に)や当事者がお茶を入れてお相手をする。初めて来所して緊張状態にいる当事者及び家族の話相手になり、自分たちがどのように利用しているか話したりする。非常に具体的にやどかりの里を利用している様が示される。活動参加へのイメージができあがったり、時にはその場が相談ともなる。(坪上宏・谷中輝雄編, 1995坪上宏・谷中輝雄編(1995)「あたりまえの生活PSWの哲学的基礎―早川進の世界―」やどかり出版., p. 67)
上記の文献からは、「茶の間」という形での「いこいの家」の実現化に当たっては、精神障害のある人の家族の日常的な雰囲気が求められていたことが示唆される。
これらのことから、「いこいの家」という考えは「茶の間」という形で実現し、その背景には精神障害のある人の家族の力があったことが明らかとなった。
③活動による実証
精神障害のある人の願いから生成され、家族の力を通して「茶の間」という形で実現された「いこいの家」という考えは、後に「精神障害者地域生活支援センター」として法定化されていく。その過程には、谷中が自らの活動によってその機能を実証していく努力があった。以下に「いこいの家」という考えの実現過程における第3の特徴として、谷中の活動による実証の努力が示された文献を引用する。
大宮中部生活支援センターは堀の内・天沼地域に憩いの場、働く場(地域作業所)2か所、住む場(グループホーム)3か所の支援を行っている。(中略)与野生活支援センターは、与野市の中で憩いの家を中心に働く場1か所(まごころ)、住む場(グループホーム)2か所の支援を行っており、与野市周辺の人たちでまとまった活動をしている。(中略)浦和生活支援センターは最も新しい生活支援センターであり、すでに活動を開始していた上木崎地域のグループホームと憩いの家の活動を支援することから始まった。そして、生活支援センターの中に北浦和憩いの場を作った。憩いの場を中心にして、家族同居者や単身生活者を支援する活動を行っている。(谷中輝雄・三石麻友美・仁木美知子・大澤美紀・佐々木千夏・藤井達也・稲沢公一, 1999谷中輝雄・三石麻友美・仁木美知子・大澤美紀・佐々木千夏・藤井達也・稲沢公一(1999)『生活支援Ⅱ―生活支援過程を創り上げていく過程―』やどかり出版., pp. 22-23)
実体がないと制度や法を変えることは困難であると実感した。そこで私は、やどかりの里で実体をつくること、全国の仲間に呼びかけて地域生活支援センターを立ち上げることを提案した。(中略)横浜市の計画の中にやどかりの里で行ってきた生活支援を説明し、計画の中に取り込んでもらった。横浜市の状況も考慮しつつ、「地域生活支援センター構想」が作成されていった。この構想が後に国の計画に大きな影響を与えていったと考えられる。(谷中輝雄, 2001谷中輝雄(2001)「地域生活支援センターへの期待」『精神保健福祉』32, 267-270., p. 268)
これらの背景には、「社会復帰検討委員会」による「精神障害者の社会復帰に関する意見」(1986年7月)の中に提案した「いこいの場」が取り上げられなかったこと、「交流の場」という名称で提案されたものの1987年に制定された精神保健法に採択されなかったこと、1993年の精神保健法の見直しにおいても生活支援センター構想が見送られていた状況があった(谷中輝雄, 2003谷中輝雄(2003)「地域生活支援センターの役割」『精神医療—第4次—』31, 37-43., p.38). この上で、谷中はID-248にあるような自らが実体をつくることの重要性を意識していくこととなったのである。
これらのことから、「いこいの家」の実現過程の第3の特徴として、谷中が自らの活動によりその機能を実証していったことが明らかとなった。
2. 現代のソーシャルアクションとの比較
前提した「いこいの家」の実現過程の特徴を踏まえ、谷中のソーシャルアクションと現代のソーシャルアクションを反映させた高良(2017髙良麻子(2017)『日本におけるソーシャルアクションの実践モデル―「制度からの排除」への対処―』太洋社., p.155)のソーシャルアクション実践モデルを比較検討することとした。以下に示す図2は、高良(2017)のモデルが図式化されたものである。
図2 高良(2017)のソーシャルアクション実践モデル
図2で示したモデルでは、ソーシャルアクションにおけるシステムが丸で、方法・技術が四角で、活動の結果が二重の四角で示されている。このモデルにおけるソーシャルアクション実践のプロセスとしては、①調査等で法制度等の課題や当事者のニーズを具体的に把握し、明らかにする「法制度等の課題とニーズの明確化」、②その課題とニーズをデータ等で可視化し、報告書やリーフレット、及びマスメディアを活用して地域の専門職や住民等と法制度等の課題や当事者のニーズを共有する「法制度等の課題とニーズの可視化・共有化」、③その上で多様な人々を巻き込み、組織化する「組織化」、④組織化した集団の力で当事者のニーズを充足させる非営利部門サービスや既存の制度等が機能するしくみを開発する「非営利部門サービスやしくみの開発」、⑤これらの流れを通して法制度等に直接働きかけていく「制度化・交渉・協働」という構成となる(髙良麻子, 2017髙良麻子(2017)『日本におけるソーシャルアクションの実践モデル―「制度からの排除」への対処―』太洋社., p.159).
続いて、以下図3は谷中の「いこいの家」という考えの実現過程を示したものである。
図3 「いこいの家」の実現過程
上記の図3では、「いこいの家」の実現過程において高良(2017)のモデルと共通する流れは白い矢印で、異なる流れは黒の矢印で示している。谷中の「いこいの家」という考えの実現過程と高良(2017)のモデルに共通する流れとしては、当事者のニーズの明確化を起点として「事業実践を示すことで制度化していく根拠を高める」(髙良麻子, 2017髙良麻子(2017)『日本におけるソーシャルアクションの実践モデル―「制度からの排除」への対処―』太洋社., p.151)という点で一致していた。しかしながら、高良(2017)のモデルでは、「法制度等の課題とニーズの可視化・共有化」と「組織化」を通して「非営利部門サービスやしくみの開発」がなされていくという流れが示されている(髙良麻子, 2017髙良麻子(2017)『日本におけるソーシャルアクションの実践モデル―「制度からの排除」への対処―』太洋社., p.155)が, 谷中は「やどかりの里」の活動を踏まえて「いこいの家」の必要性を執筆・発言し、多くの協力者を募っていったという異なる流れもあった。図3で特徴的なのは、「やどかりの里の活動」から全ての方向へ矢印が伸びている点である。これは、谷中が当事者のニーズの充足においても、活動の仲間を募るに当たっても、制度化への交渉の際も、自らの活動を通して働きかけていったことを示している。
これらの「いこいの家」という考えの実現過程と高良(2017)のソーシャルアクション実践過程の比較検討からは、当事者のニーズの明確化を起点とし、事業実践を示すことで制度化していく根拠を高めるという時代を通した普遍性と、ソーシャルアクションの全過程で実践家が自らの活動を根拠として示す有効性が示された。