第一章 谷中輝雄はどのように精神科ソーシャルワーカーとしての価値を形成したか
第二節 「ごく当たり前の生活」の形成過程(3/3)
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Ⅵ. 考察
本節における「ごく当たり前の生活」という考えの形成過程分析結果からは、「ごく当たり前の生活」の形成過程には、精神障害のある人や国内外の支援者、学生という、谷中と精神保健医療福祉に関わる多様な人々との関わりが影響を与えていたことが明らかになった。このことは、多様性を持つ集団からの学びを活用した省察の有効性が示されている。それは例えば、これからの精神保健医療福祉におけるグループスーパービジョン及びグループコンサルテーションの可能性として展望できる。
ストレングスモデルを提唱したカンザス州立大学のラップ&ゴスチャ(2012/2014ラップ, A, チャールズ&ゴスチャ, J, リチャード(Rapp, C, A. & Goscha, R, J.)(2014)『ストレングスモデル―リカバリー志向の精神保健福祉サービス―【第4版】』(田中英樹監訳)金剛出版(原著は2012)., pp. 322-323)も、グループスーパービジョンは、単独や二人で行うよりも代替策や地域資源の情報を得られやすく、支援者が「同じ使命と挑戦を共有しているグループと結びついていると実感できる」方法であるという。
谷中自身も、「どうも研修のあり方が医者は医者、保健婦は保健婦、ワーカーはワーカーとそれぞれ専門職種間のみの研修には偏りがある。むしろ患者さんや家族の当事者がその研修の中に登場してきて、さらには様々な職種の方々との間でどんな援助を繰り出していったらよいのかということを検討していく研修の必要性が感じられます。」(谷中輝雄・藤井達也・松田正己, 1989谷中輝雄・藤井達也・松田正己(1989)「実践研修について考える―地域の中の良き支え手の養成―」『精神障害と社会復帰』9(1), 4-22., p. 6)と多様な人々を含めた研修の必要性を展望していた。
前述した先行研究が示している「ごく当たり前の生活」に影響を与えた早川進との対談も、全て研修会という集団の場を通して行われたものであった。
しかしながら、「ごく当たり前の生活」という考えの限界を提示するとするなら、その考えが汎化への道半ばで発案者の谷中が逝去したという点をあげることができる。海外のノーマライゼーションの考えが、知的障害のある人が他の人と同じ生活を送る権利を享受するという議論より始まり、徐々に他の人と共なる社会の中でその権利を実現するという議論にふくらみを持ったように、谷中もまた「21世紀は共生共存の社会」とこれからの精神保健医療福祉を展望していた記録が遺されているからである(谷中輝雄, 2013谷中輝雄(2013)「障害者と地域で……―共生共存に向けた21世紀へ―」谷中輝雄さんを偲ぶ会実行委員会編『あたりまえの生活の実現をめざして―谷中輝雄が考えたこと行動したこと―』(pp. 13-40), 谷中輝雄さんを偲ぶ会実行委員会., pp. 37-40)。しかし、これらの考えは『生活支援―精神障害者生活支援の理念と方法―』のようにまとめられることはなかった。したがって、今後の研究課題としては、現代の社会福祉全体の動向、すなわち、障害の有無を越えた人そのものの成長・成熟につながる要素を谷中の価値形成の過程から抽出する必要があると考えられる。
Ⅶ. 本節の結論
本節における「ごく当たり前の生活」という考えの形成過程分析の結果、「ごく当たり前の生活」という考えは、①精神障害のある人や他の支援者と危機を共に乗り越える過程の中で生まれた産物であり、②時代や現場に立ち現れる課題に合わせて軌道修正及び発展を成し遂げ、③海外の考えや実践との比較検討を通して独自性を確立し、④精神障害のある人だけでなく支援を必要とする全ての人を対象とするよう汎化の流れを辿っていったという4点が明らかになった。また、「ごく当たり前の生活」の発展可能性としては、その形成過程の背景に谷中と精神保健医療福祉に関わる多様な人々との関わりの影響が明らかになったことから、これからの精神保健医療福祉におけるグループスーパービジョン及びグループコンサルテーションの可能性が展望された。一方で、「ごく当たり前の生活」の限界からは、障害の有無を越えた人そのものの成長・成熟につながる要素を明らかにする必要性が考察された。