第一章 谷中輝雄はどのように精神科ソーシャルワーカーとしての価値を形成したか
第二節 「ごく当たり前の生活」の形成過程(1/3)
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Ⅰ. 本節の目的
本節の対象は、谷中の「ごく当たり前の生活」という考えである。
谷中(1996)谷中輝雄(1996)『生活支援―精神障害者生活支援の理念と方法―』やどかり出版.は、自らの実践をまとめた著書の中で、生活支援の考え方の中心軸にこの「ごく当たり前の生活」という考えを置いている。その考えは、精神障害のある人を患者としてでなく当たり前の人、すなわち自己決定が出来る生活者としてみなし、地域の中で当たり前の生活が出来るよう当たり前につき合う視点を表している。谷中はこの「ごく当り前の生活」という考えを、「精神病院又は他の法律により精神障害者を収容することのできる施設以外の場所に精神障害者を収容してはならない」(昭和25年法律第123号精神衛生法第48条)という条項が示されていた精神衛生法時代より発信し、実現を目指して実践を進めていった。
では、谷中はこうした法制度が未整備の中、何故これらの活動を進めていくことが出来たのであろうか。本節では、谷中の活動を支えた環境に着目し、谷中がどのように周囲から影響を受けて「ごく当たり前の生活」という考えを形成したかを明らかにすることを目的とした。
Ⅱ. 先行研究
先行研究によると、谷中の「ごく当たり前の生活」という考えの形成過程に大きな影響を与えたのは早川進の存在であると考えられている。例えば、藤井達也(1999)谷中輝雄・三石麻友美・仁木美知子・大澤美紀・佐々木千夏・藤井達也・稲沢公一(1999)『生活支援Ⅱ―生活支援過程を創り上げていく過程―』やどかり出版.の記述には、「早川進という精神医学ソーシャルワーカーだった哲学者との対話が、やどかりの里の実践の意味づけを可能にし、谷中輝雄は『ごくあたりまえの生活』の実現を、やどかりの里の活動理念とした」(p. 263)とある。阿部好恵(2003)阿部好恵(2003)「やどかりの里における『ごくあたりまえの生活』に関する一考察」『響き合う街で』27, 66-82.も、「1976年以前には『人並みの』『ごく普通の』という言葉が使われていたが、この年を境に出版物に『ごくあたりまえの生活』が使われるようになっている。同年には、相互研修会が行われている。つまり『ごくあたりまえの生活』は、この研修会の議論から出てきた言葉だったのだ」(p. 70)と当時の研修の重要性を指摘し、その講師であった早川の発言を整理している。坂本智代枝(2005)坂本智代枝(2005)「精神障害者の地域生活支援の思想形成に関する研究(1)―やどかりの里の生活支援の理念形成の下支えをした思想―」『大正大學研究紀要―人間學部・文學部―』90, 171-176.も、「実践の中から思想が構築されることに、大きく影響を与えたのは、精神科ソーシャルワーカーでもあり、哲学者であった早川進との対話が大きい。早川進は、1976年にはじめてやどかりの里に訪れ、スタッフ相互研修会で『ごくあたりまえの生活を求めて』と題して谷中輝雄と討議している」(pp. 173-172)と早川の名をあげ、早川の思想の整理を行っている。宗野政美(2013)宗野政美(2013)「『生活支援の考え方』について」『響き合う街で』65, 3-9.も、「哲学者である早川進との対話から、存続の危機にあった『やどかりの里』の存在意義が確認された」(p. 5) と早川の言葉を「当たり前のつきあい」と「当たり前の生活」という考えと合わせて整理している。
これらの先行研究を踏まえ、本節においては、リサーチクエスチョンに「『ごく当たり前の生活』という考えの形成過程において、早川進以外の影響はあったのか、それはどのようなものか」という問いを置くこととした。またその仮説は「『ごく当たり前の生活』という考えの形成過程には、精神障害のある人や他の支援者仲間からの影響もあったのではないか」とし、その検証を行うこととした。
Ⅲ. ノーマライゼーションの理念について
本節において谷中の「ごく当たり前の生活」という考えを扱うに当たり、その考えと親和性を持つ海外におけるノーマライゼーションの理念を紹介する。
海外におけるノーマライゼーションとは、デンマークの精神遅滞者法(1959)におけるバンクミケルセンの提唱より展開した概念のことを指す。その当時の定義は「精神遅滞者の生活を可能なかぎり通常の生活状態に近づけるようにする」とされ、その後「精神遅滞者の住居、教育、仕事、そして余暇の条件を通常にすること。そしてそれは、すべての他の人びとがもっている法的権利や人権を、彼らにもたらすことを意味する」と具体化されていった。そして1960年代には、スウェーデンのニィリエがノーマライゼーションにおけるライフスタイルを8つの領域ごとに具体化し、これらの考えはスカンジナビア諸国のサービスの発展に大きな影響を与えていった。さらに、このノーマライゼーションを実現する方法に関する議論を具体的に発展させたのが、1970年代におけるアメリカのヴォルフェンスベルガーであった。ヴォルフェンスベルガーは「可能なかぎり文化的に通常である個人的行動や特徴を維持したり、確立するための、可能なかぎり文化的に通常となっている手段の利用」と、「社会的役割の実現」という意味を含めてノーマライゼーションを再定義した。(ヒラリー&ヘレン, 1992/1994ヒラリー・ブラウン&ヘレン・スミス(Hilary, B. & Helen, S.)(1994)『ノーマリゼーションの展開―英国における理論と実践―』(中園康夫・小田兼三監訳)学苑社(原著は1992)., pp. 22-26)
上記の流れより、海外のノーマライゼーションの考えは、知的障害のある人が他の人と同じ生活を送る権利を享受するという議論より始まり、徐々に他の人と共なる社会の中でその権利を実現するという議論にふくらみを持っていったと言える。
一方で、谷中は精神保健医療福祉の領域で「ごく当たり前の生活」という考えを形成していった。そして、谷中は自らの実践を振り返る上で、「ごく当たり前の生活」という考えについて以下のように言及している。
生活支援という考えや方法も、ひたすら精神障害者の「ごくあたりまえの生活」の実現化と、「生活の豊かさ」を求めた結果でもあった。/精神障害者のノーマライゼーションと、クオリティ・オブ・ライフと行ってしまえば置き換えられるのであるが、どこか違う感じもするのである。多分、アメリカやヨーロッパにおける活動を、日本で実現化させることを目指してきたのではなく、日本の土壌の中で支援のあり方を模索してきたことにあるのであろう。(谷中輝雄, 2000谷中輝雄(2000)「生活支援形成過程について―やどかりの里における生活モデルの提示 福祉の立場から(1)―」『精神障害とリハビリテーション』4, 132-136., p. 132)
このことを踏まえると、「ごく当たり前の生活」という考えは、民族固有の知に基づいた日本型ノーマライゼーションと捉えることが出来る。民族固有の知とは、「世界各地に根ざし、人々が集団レベルで受け継いできた知」のことである。その中には「独自の価値観」も含まれる。(社会福祉専門職団体協議会・一般社団法人日本社会福祉教育学校連盟, 2015社会福祉専門職団体協議会・一般社団法人日本社会福祉教育学校連盟(2015)「ソーシャルワーク専門職のグローバル定義(日本語訳)」(2021/7/23閲覧))(※外部サイト参照)
では、「ごく当たり前の生活」という考えはどのように生まれ、根付き、受け継がれていったのであろうか。本節はこうした背景から谷中を取り巻いていた集団に焦点を当て、「ごく当たり前の生活」という考えの形成過程とその要因を明らかにすることとした。
Ⅳ. 方法
本節における「ごく当り前の生活」という考えの形成過程分析は2段階で行った。第1に、「当たり前」や「普通」、「ノーマライゼーション」等の「ごく当たり前の生活」につながる言葉が時代によってどのように使用されているかという変遷を時系列に整理した。第2に、第1の分析で整理した「ごく当たり前の生活」につながる言葉の変遷と各時代の精神保健医療福祉の動向を照合することにより、「ごく当たり前の生活」という考えの形成過程を明らかにした。