抄録

Ⅰ. 研究の背景

本研究においては、わが国における精神保健医療福祉の担い手が多様化する中で、精神保健医療福祉専門職がどのように他領域の専門職(当事者や家族のピアサポートも含む)との協働の中で学び合えるかという課題を設定している。そして、その示唆は先人の足取りにあると考え、精神保健医療福祉専門職の一つである精神科ソーシャルワーカーの先人となる谷中輝雄(1939~2012)の研究を行うこととした。

谷中は1970年に精神障害のある人を地域で支える「やどかりの里」を埼玉に創設し、その実践経験より1999年に「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」に法定化された「精神障害者地域生活支援センター」構想を提言した人物である。谷中はこれらの活動の中で精神障害のある当事者や当事者家族、また他の支援者と共に精神科ソーシャルワーカーとしての価値を形成及び発信し、その後の精神保健医療福祉の展開に大きな影響を与えていった。

先行研究では、谷中の精神科ソーシャルワーカーとしての価値形成には多様な影響が及んでいたことが示されている。本研究では、谷中が多様な人々から影響をどのように受けて精神科ソーシャルワーカーとしての価値を形成していったのか、またその価値はどのように再び人々と共有されていったのか、この相互作用の具体的な過程を辿るため、谷中の価値形成過程に焦点を当てることとした。このことは、今後の精神保健医療福祉領域における学び合いの未来を考える上での一助になると考えられる。

Ⅱ. 研究の目的

本研究においては、谷中の精神科ソーシャルワーカーとしての価値形成及び共有の過程を明らかにすることにより、今後の精神保健医療福祉に取り組む人々の学び合いの未来像を展望することを目的とした。

Ⅲ. 研究の方法と倫理的配慮

本研究は文献調査とインタビュー調査にて行なった。

文献調査の実施にあたっては、早稲田大学の研究倫理教育を受講し、憲章及びガイドラインを遵守した。そして、インタビュー調査の実施にあたっては、早稲田大学の人を対象とする研究に関する倫理審査委員会の承認を得た【承認番号 : 2017-195】。

Ⅳ. 研究の結果

文献調査の結果からは、谷中の精神科ソーシャルワーカーとしての価値は多様な人々との関わりや、その中で起きたよい循環、そして、他の支援者の良い実践や精神障害のある当事者の力から学ぶ姿勢により形成されていったことが明らかとなった。

インタビュー調査の結果からは、谷中の精神科ソーシャルワーカーとしての価値が学習者のニーズ中心に学びの場を整え、主体性を引き出す自由な環境づくりに目を向け、精神障害のある人や他の支援者と学びあう構造を持つことにより共有されていったことが明らかとなった。また、「我々の中にも谷中輝雄はいる」という新たな仮説を生成することにより、精神保健医療福祉に取り組む人々の持つ優しさや逞しさの普遍性を考察することが出来た。

Ⅴ. 考察と結論

本研究における文献調査とインタビュー調査の結果を踏まえ、今後の精神保健医療福祉に取り組む人々の学び合いにおける①グループスーパービジョンやグループコンサルテーション、②ストレングス視点に基づいた実践を行う支援者のストレングスへの着目、③活動の継続性を支える「よい循環」の具体性を探る研究、④地域に開かれた精神保健医療福祉学、⑤現象学的なストレングス視点の研究、⑥優しさの連鎖を生み出す暗黙知の継承という6点の可能性を展望することが出来た。

Ⅵ. 研究の限界と展望

本研究には、現代の視点から遺された文献や研究協力者の語りを解釈しているという研究の限界がある。そこにはもちろん、遺されなかった言葉や語られなかった言葉が存在する。このため、本研究においては反論の余地を残すことを意識し、参考にした文章や語りを文脈が見えるように記述した。このことにより、谷中研究が本研究に留まるのではなく、多くの人の議論により組み立てられていくことを展望した。